津和野を訪れた。
津和野駅を出、観光のメインストリートである本町通りに入る。
通りの両脇には歴史を感じさせる赤瓦の町並みが続く。
さらに進んで殿町に入ると、雰囲気が変わる。その名の通りもともと城下町だったエリアで、こういった場所は今は官公庁の敷地となっていることが多い。津和野も例に漏れず津和野町役場の津和野庁舎がある。その風情ある佇まいは現役で稼働しているようだ。
殿町通りを抜けるとスクランブル交差点にたどり着く。車道を渡った先には太皷谷稲成神社の鳥居が口を開けている。イナリに稲成という漢字を当てるのは全国でも珍しく、ここだけなのだそうだ。
交差点の歩行者用信号が青を灯した。黄色いスピーカーから『通りゃんせ』の曲がかかる。よくある光景だ。
大学生と思しき青年が話している。
それとなく耳を傾けると、彼の地元は福岡であること、彼が『通りゃんせ』をなんとなしに口ずさんでいたら、連れに何それと言われたというエピソードが聞き取れた。
どうやら彼は現在金沢の大学に通っているようだ。「金沢では通じなかった」とも言っていた。
福岡で『通りゃんせ』が流れるのは、天神にまつわる曲だから不思議はない。
『通りゃんせ』が流れる信号機は時折見かけると思うが、ここ津和野では流れ、金沢ではそうではないという。
はて、もしかするとこの『通りゃんせ』は京都より西限定なのかもしれないと思いつく。つまり、菅原道真が左遷を受け、京都から太宰府に向かった、その名残が現れているのではないか。
おそらくはそんなに都合の良いことは無いであろう。少し調べてみたところ、そもそも『通りゃんせ』が流れる信号機はしだいに数を減らしているようだ。