函館に行くと多くの人が利用するであろう路面電車、函館市電。
中にはずいぶんレトロそうな車両も走っている。
函館市電はいつの時代から走っているのだろうか。
函館市電の始まり
馬車鉄道から始まった
函館市電の始まりは1894年。当初は亀函馬車鉄道として開業した。
馬車鉄道というのは馬がレールの上を走る車両を引く鉄道のこと。電気のかわりに馬を動力に使う乗り物ということになる。北海道札幌市の「野外博物館 北海道開拓の村」で運行されており、実際に乗車することもできる。(2023年10月現在は運休中)
亀函というのは鉄道が結ぶ2つの地点から取られている。亀は亀田橋。五稜郭の北西に位置し、現在も存在する。函は当然函館のことだ。
この後、亀函馬車鉄道は函館鉄道と合併し、名前を函館馬車鉄道とあらためる。
開業の目的
そもそも亀函馬車鉄道敷設のきっかけには、函館~湯の川への道路状況の劣悪さがあった。雨がふるとぬかるみで膝まで没するというありさまで、湯の川温泉への客足に悪影響をあたえていた。それを解消するために鉄道の敷設を発起したのが、宮城県出身の実業家、佐藤祐知(さとうゆうち)であったそうだ。
1897年前後の出来事
1897年はどんな時代だったかを考えてみるために、前後の出来事を整理しておきたい。といっても私はかなり歴史音痴なので、あくまで並べて想像する程度だ。また現時点では勉強が足りていないのでここで何かはっきりしたものを言うこともやめておく。したがって有意義な出来事をピックアップできているかもおぼつかない。
- 1872年…官設鉄道(新橋駅~横浜駅)開業
- 1882年…東京馬車鉄道(新橋駅~日本橋駅間)開業
- 1894年…日清戦争
- 1897年…亀函馬車鉄道開業
- 1904年…日露戦争
- 1906年…鉄道国有法制定
1872年は日本で最初の鉄道が走った日である。動力は蒸気機関。
その10年後に開業した東京馬車鉄道は日本で最初の馬車鉄道。
さらにその15年後に函館市電の開業。それなりに時間が経っているのに動力が馬なのは、技術的には逆戻りのようで意外な感じがする。金銭や土地関連の問題があったのかもしれない。
亀函馬車鉄道の開業は、日清戦争と日露戦争の間にはさまれている…だからなんだと言えたら良いが、今後の課題としたい。
函館水電による買収、電車になる
以下、理解が十分でなく内容がグズグズとなる。
函館水電は渡島水電株式会社を前身とする。大沼を水源とした水力発電事業を目的として設立された会社。
1911年に函館馬車鉄道を買収し、1913~1914年にかけて馬車鉄道を電化していった。
電化するためにはどう電力を確保するかがハードルになるだろうが、電力会社ならお手の物といったところだろうか。
この点、琵琶湖疏水による水力発電と、日本で最初の路面電車である京都電気鉄道と共通するものを感じる。
函館水電は1934年に帝国電力株式会社と社名変更する。
さらに、1940年には大日本電力に合併される。
市電時代の始まり
1943年、大日本電力の電車・バス事業は道南電気鉄道に譲渡される。
さらにそれらは函館市に譲渡され、函館市役所交通鏡が発足。
これら背景には国家総動員法にもとづく配電統制令や陸運統制令があった。
戦争に向けた国策に影響される形で、現在の市電の姿に近づいてきた。
まとめ:
函館市電の経てきた3つの時代
まとめると、函館市電は3つの時代を経てきたことになる。
- 馬車鉄道時代(1894年~)
- 函館水電時代(1911年~)
- 函館市営時代(1943年~)
それぞれ契機があったことを頭に入れておくと、少しは語ることができそうだ。
今後の課題
- 自分の課題を列挙しておく。
- 鉄道史における路面電車の位置づけ
- 日本史と鉄道史の絡み
- 京都電気鉄道と琵琶湖疏水と水力発電と万博
- 国家総動員法と各業界への影響