鳥取県の倉吉駅を訪れた。
メインの目的は重伝建の白壁土蔵群を見ることだが、それと合わせて倉吉線の廃線跡もついでに歩こうかと思っていた。現在はプロムナードとして整備されているようだ。
駅を出て南向きへ大きな通りを進む。廃線をたどりつつ、旧打吹駅の跡地にある倉吉線鉄道記念館を目指そうと思っていた。ルートをきちんと把握してはいなかったが、ゴールの位置は確認していた。線路はその間を繋いでいるはずなので、方角さえあっていればどこかで廃線跡に出会うだろうという算段だった。ところが、結論から言えば、目的地に到着するまでのほとんどの間、およそ見当違いのところを歩いてしまっていたのだった。目的地に着いてしまってからそのことに気がついた。
そうなってしまった理由は次のようになる。旧打吹駅は現倉吉駅から見て南西の方向にある。だが倉吉線はその2点を真っ直ぐに繋いでいるわけではなかったのだ。現倉吉駅から東(鳥取方面)に進みながら、右手方向に曲がり、大きく膨らみながら南へと進路を取っている。
それ故に、倉吉線は予想よりも南を通っていたのだった。このあたりに廃線があろうと見て歩いていたルートを平行移動させたような位置関係だ。平行する2本の線は交わらない。
結局、そのまま旧打吹駅に到着してしまった。歩いている最中、「この辺はなんとなく名残があるかな?」などと見当外れの考察をしていたのは、今思えば恥ずかしかった。また距離の見積もりも間違っていて、思ったより時間もかかった。小雨にも降られた。疲れた。
ここまで読んで次のように思われるかもしれない。「目的があったのであれば、事前にきちんと調べておけば良かったのではないか」と。全くその通りで、歩いている最中、何度も後悔が頭をよぎった。なぜそうしなかったかといえば、それらしき方向に歩けばそう労せずに目的のものに見当たるだろうという甘い見積もりをしていたからだ。実は今に限らず、他の旅行においても本来の目的が達成されずに終わることが自分の場合は多い。もちろん事前に調べておこうとしたことも何度かある。だがそのたびに、調べずにぶらぶらと、気ままに歩きたいという気持ちが夏の入道雲のように心に湧き、結局同じことを繰り返してしまうのだ。私の悪癖と言って良い。
この癖は将来的にも治らないだろうと思っている。たとえ目的が達成できないとしても、現地を歩いてみれば他では得られない気付きが得られるものだ、と自分に言い聞かせつつ、めげずに歩き続けているのであろう。