福岡県小倉に旦過市場(たんがいちば)という場所がある。
その歴史は大正時代まで遡る。かつて神獄川(かんたけがわ)沿いにあった空き地を簡易な船着き場として利用し、海産物の売買をしたことが始まりだ。利便性の高さから集まってくる商人はしだいに数を増やしていき、市場も拡大していった。太平洋戦争の影響で勢いが衰えた時代もあったが、それを乗り越えて姿を保っている。現在はレトロな雰囲気と食べ歩きを楽しむことができる観光スポットとして知られているようだ。
旦過市場は小倉駅から歩いて15分程度の距離にある。時刻は昼前だ。ここでは色々物色して昼食にしようというつもりで訪れた。
適当に見て回り、目についたものを組み合わせてランチセットにする目論見ではあったのだが、1つだけかねてから食べたいと思っていたものがあった。それが「糠炊き」だ。鯖や鰯を糠で炊き込んだ料理で、小倉の名物である。糠床の文化は江戸時代初頭、豊前国を治めた細川忠興の頃に伝わったらしい。以来、それが市井にも広まっていき、その中で糠炊きという料理が生まれたのであはないかと思う。忠興自身が伝えたか…というと分からないが、もともと織田信長の配下の武将だったので、もしかすると源流は愛知とか関西方面にあるのかもしれない。
旦過市場のアーケード街をぶらついてみる。観光客も多く訪れており、活気がある。一方で脇道に目をやれば、ほこり臭いがするような昭和の薄暗さが残されており、大変魅力的だ。
店を一通り見て回ると、糠炊きを扱っている店はいくつかあることが分かった。その中の一つを適当に選んで店番の人に声を掛ける。
「おすすめはありますか?」
鯖と鰯のものがあったので聞いてみた。
「どっちもうまいですよ」
なら鯖にしようか。そのことを伝えると、縁日の出店でよく見るプラスチックの透明なフードパックに糠炊きを入れてくれた。
糠炊きの見た目は味噌煮に似ていた。コクがありつつもクドさがなくうまかった。鯖そのものも脂が乗って、素材の良さが感じられた。唐辛子の辛味がアクセントとなり、一品としての完成度を高めていたように思う。
店を離れる際、
「旅の方ですか? 九州でうまいものたくさん食べてください」
と九州の言葉で声を掛けてくれた。
こういったやり取りは何より記憶に残る。