今回行田を訪れた理由は、前に言った通り「さきたま火まつり」を見るためだった。(結局それは叶わなかったが。)しかし、実のところは、よりラディカルなきっかけがあった。それは『埼玉の女子高生ってどう思いますか』という漫画作品を読んだことだ。「さきたま火まつり」のこともこの漫画で知った。水城公園を散歩し、前玉神社を参拝し、古墳に登ったりしたのも、この作品にインスパイアされた結果だ。
『埼玉の女子高生…』は埼玉県、特に行田市を舞台の中心とする、いわゆるご当地マンガである。僕自身は、いちおう漫画好きであることを自認しており、旅行好きなこともあってこういったマンガを手に取る機会は多い。だがその分、この手の作品を読む目も厳しくなる。
ご当地マンガにおいては、その土地その土地の蘊蓄が作品の軸になることが多い。地元の人にとっては「あるある」と嬉しくなるだろうし、他地域の読者にとっても「へえ~」と新鮮に映る。そのためヒキの要素として成り立ちやすく、キャッチーだ。一方で、蘊蓄を詰め込もうとするあまり、安易なストーリー構成になっていたり、キャラクターが記号的になってしまっている作品の例は多い。「ご当地マンガの罠」と言ると、日々思っている。
『埼玉の女子高生…』はこの罠を見事に回避し、魅力的なキャラクターとストーリーを立ち上げることに成功している。その点を僕は大いに評価したい。お約束としての(時に自虐的な)蘊蓄を踏まえながら、登場人物たちの掛け合いや成長(個人的には特に東上の)を微笑ましく描いている。小鳩の独特のセリフ回しも良い(好きだ)。最終巻、東上が「埼玉って最高だね」と言う場面では、思わず(本当に思わず)胸が熱くなった。そして同時に、寂しさも覚えた。この子たちの日常をもっと眺めていたかった--そういう寂しさだ。
現在は完結を見届けてからしばらく経った。だがそんな今でも、ふと想像をすることがある。彼女たちは、これから先、例えば高校を卒業した後、それぞれの進路に進み、離れ離れになるのだろうか。それでも時々は、行田に戻ってきて、旧交を温める機会を持つことがあるのだろうか。南ちゃん先生のように。それでも、作品内で描かれたような愉快で穏やかな日々が、これからもずっと続くということは、おそらくないのだろう。それは避けられない未来なのだ。そう思うと、先ほどとはまた違った種類の寂しさが込み上げてくる。
作中に登場する「わたぼく牛乳」を、埼玉古墳群近くの観光物産館「さきたまテラス」で購入して飲んだ。本当は作中に登場する温泉施設「古代蓮物語」に行き、温泉を堪能した後に飲むつもりだった。だが、この施設は2021年12月31日をもって閉館してしまっていた。このことは行田を訪れる前、下調べをしている際に知った。当時僕はひどく落胆した。『埼玉の女子高生…』で描かれた、あの愛すべき世界から、重大な一部分が欠落してしまったように感じられたからだ。
だけどそれは僕の幻想に過ぎない。完璧で不変な世界などというものは、現実にしろ、マンガの中にしろ、初めから存在しないのだ。世界は変わり続ける。それは僕にとっても、彼女らにとっても同じことなのだ。そして若い彼女らは、これから先もっと大きな変化を否応なしに迎えることになるだろう。そして各々が、それぞれの未来へと進んでいく。僕はそれを祝福し、励ますべきなのだと思う。(そんなものが必要かどうかはさておき。)
分かっていはいる。だがそれでも、胸の奥に小さな切なさが、今なお残り続けている。