「埼玉県立自然の博物館」を見学した後、最寄りの上長瀞駅から秩父鉄道に乗り、長瀞を後にした。
長瀞の滞在時間は短かった。もっと見ておくべきものはあったはずだが、体調が優れないこと、あまりに暑いこと、そして人出が多すぎること――これらの理由から、今回のところは早々に引き上げることにした。また次の機会に、ゆっくり見て回りたいと思う。
さて、次の目的地はというと行田である。秩父や長瀞といったメジャーな観光地と比べると、率直に言って、行田の知名度は低い。そもそも観光地としての認知すらされてもいないかもしれない。そんな行田になぜ行くのか。そこには僕なりの理由があった。「さきたま火まつり」をどうしても見たかったのだ。(後述するが、それは果たされなかった。)
行田には埼玉(さきたま)古墳群という、全国的に見ても屈指の規模を誇る遺跡がある。つまりは古墳時代において、行田は埼玉県、ひいては関東平野の中心だった。この埼玉(さきたま)という地名は現在の埼玉(さいたま)の県名のルーツとなっている。
そんな古代ロマンの地・行田で毎年開催されているのが、「さきたま火まつり」だ。「火まつり」ではニニギとコノハナサクヤヒメの神話(コノハナサクヤ姫が、天孫であるニニギの子を懐妊していることを証明するため、産屋に火を放つエピソード)が再現される。その神秘的な様子をぜひ目に焼き付けておきたかった。
しかしながら、今年の「火まつり」は、コロナの影響で規模が縮小され、関係者のみで開催されることが決定していた。実は旅行の計画段階で、この情報はすでに入手していた。それでも埼玉県には来たかったから、今回の旅行を決行することにしたのだが、「火まつり」への切なる思いが、埼玉探訪のモチベーションに占める割合は決して小さくなかっただけに、非常に残念だった。
冒頭で「体調などの問題から早々に長瀞を発つことにした」と述べたが、それは本当ではない。せわしないスケジュールは、予定の上での行動だった。つまり、「火まつり」の始まる夕刻までに行田に着いておくためだったのだ。
予約をしておいたホテルに到着した。僕は未練から、「火まつり」の開催について受付のスタッフに尋ねてみた。やはり今年は縮小開催であるとの答えだった。自分の下調べが良い意味で裏切られることを少しだけ期待していたのだが、そんなことは起こらないようだ。
部屋に荷物を置き、しばらく休んでいるうち、体調は少し回復してきた。5月初頭の日は長く、まだ外は明るい。僕はホテルの近くにある水城公園へ散歩に出かけることにした。夕暮れに染まりつつある公園を、気の向くまま、何にも縛られずに歩いた。そこにあったのは、観光地でもなんでもない平凡な景色だった。だが、そんな景色を見ていると、不思議なことに「ここまで来てよかったな」と思えたのだった。