秩父鉄道に揺られること20分弱。長瀞駅で下車した。
5月の頭だというのに、驚くほど暑かった。駅舎を一歩出ると、強烈な日差しが容赦なく肌を突き刺してくる。よりにもよって昼過ぎの一番暑い時間帯に出てきてしまった。ひとまずコンビニに寄って飲み水を買った。うかうかしていると熱中症になりかねない…。買ってすぐに3分の1ほど飲んでしまった。
人心地ついたところで、これからの行動を考えることにした。長瀞は人気のある観光地だし、やることには事欠かない。(そのため、ろくにプランを練ってこなかった。)例えば宝登山神社に行くとか――ちょうど昨日は三峰神社への参拝を断念したところだ――しかしそうする気にはなれなかった。神社へ向かうにはそれなりに急な坂を登っていかなくてはならない。この炎天下では、それを実行する気力は湧かなかった。
いや、普段ならば意気揚々と、むしろ喜んで坂を登っていただろう。だが、今思うと、この日は体調が芳しくなかったのだ。それが意思決定に影響したのだろうと思う。どうも風邪のひき始めのようだった。ある時から鼻水出てが止まらなくなった。前日の宿の布団が埃っぽかったため、そのせいでアレルギーを起こしたのだろうと思っていたのだが…。夜、少し冷え込んだのが原因だろうか。(秩父の昼夜の寒暖差には驚いた。)スーパー銭湯で回復した気になっていたが、その場しのぎに過ぎなかったのかもしれない。
山は駄目、ということで気持ちは川に向かった。川辺なら多少なりとも涼しさを感じられるかもしれない。とは言うものの、長瀞で有名な川下りをしてみる気にもならなかった。受付には長蛇の列ができていて、日差しにさらされながらそこに並ぶことを想像すると耐えられなかったし、そもそもひとりで乗るのも虚しい。(柳川では一人で乗ったが…。つまり、全てはその時の体調と気分次第だ。)僕はただ歩いて、川の方に向かった。
川辺に向かう道は観光客でごったがえしていて、さながらすし詰め状態だった。少し歩くのにも人混みをかき分けていく必要があり、そのことも体力を奪っていった。飲み残しのペットボトルの水は急速にぬるくなっていった。
やっとの思いで川辺に降りると、さすがに人混みの密度も下がってきた。涼やかな風が吹いてきて、僕の肌を撫で、日差しと人いきれの熱を取り去っていった。僕はここまで来てようやく、救われたような心地を得ることができた。
眼の前にはゆったりとした「瀞」の流れ、そして「岩畳」や「秩父赤壁」と呼ばれる独特の景観が広がっている。幾重にも重なり合う岩は、悠久の時の中で水に研磨され続け、厳しさを少しずつ削り取られていったようだ。壮大というよりもむしろ親しみを感じさせるような、穏やかな美しさを湛えていた。
僕はそこでしばらくの間、川下りの舟をぼんやりと眺めていた。舟は漕ぎ手の竿さばきに導かれ、来ては去ってを滞りなく繰り返した。乗客らは川下りのスリルを、実に楽しんでいるようだ。遠ざかり、豆粒のように小さくなった舟からは、歓声や笑い声が微かに聞こえてきた。その様子はなんだかほのぼのとして、微笑ましい光景だった。気がつけば、僕は少しだけ元気を取り戻していた。