この日は朝から「海の中道海浜公園」を見て回った。思った以上に多くの素敵な景色に出会うことができ、夢中になって写真を撮ったため、カメラのバッテリーも残りわずかとなっている。時刻は正午をとうに回っていた。
自分自身もそろそろエネルギー切れだ。公園の中に食事ができるところもあったようだが、博多方面に戻ってからに食べることにした。
来るときは電車を利用したから、いつものように帰りは別ルートをにしたいと思った。博多は博多湾を挟んで向こう側にある。位置関係からして、双方を結ぶ航路があるはずだ。調べてみるとやはり見つかった。
船便は運航事業者別に何系統かあったが、今いる「海の中道海浜公園西口」からは、福岡市営渡船を利用するのが近いようだ。ここ西戸崎を経由し、志賀島と博多ふ頭を結んでいる。都合のよい時間に便があるかどうかが問題だったが、確認したところ、幸い30分ほど待てば次が来るようだ。
待つことしばし、船がやってきた。この航路においては100トンを超す大型船が運航されることもあるそうだが、今回は小型船だった。側面には「きんいん」という船名が記されている。志賀島で見つかった金印(漢委奴国王印)にちなんでつけられたものだろう。
待合スペースには僕の他、地元住民と思しき若者が何人かいた。着岸した「きんいん」は乗客を収容すると、それほど間を置かずに動き出した。普段から地域の人々の足として利用されているのであろう。生活路線らしい、そっけなく、プラクティカルな出航だった。
若者たちはいかにも普段から乗り慣れているといった様子だった。一方の僕にとって、船での移動は非日常だ。所要時間は30分程度と、「船旅」と呼ぶにはやや大げさだろう。それでも僕の気持ちは、船の加速に呼応するように確実に高まっていった。
「きんいん」は、船尾から勢いよくしぶきを上げ、力強く進んでゆく。小型船ながら、頼もしさを覚えるほどだ。前方には海原がどんどん広がってゆく。それはまるで、船の舳先が新しい景色を切り開いてゆくようだった。
ふと後方を振り返ってみる。離岸してからそう長い時間は経っていないはずなのに、さっきまでいた「海の中道」がずいぶん小さくなっている。たった半日滞在しただけというのに、船で去るときというのは不思議と切なさが込み上げてくるものだ。それは彼我の距離が、海という実態を通じて、具体的なものとして認識されるようになるからなのかもしれない。僕はしばらくの間、さらに一回り小さくなった「海の中道」を見つめ、名残を惜しんだ。
再び前方に目を向けると、すでに目的地が迫りつつあった。屹立する赤いフォルムが目に飛び込んでくる。ベイサイドプレイス博多のシンボル、博多ポートタワーだ。その姿は刻一刻と大きさを増し、ディテールが明らかになってくる。この旅の終わりも近い。乗船中もたくさんの写真を撮った。カメラはバッテリー切れ寸前まで頑張ってくれた。
ほどなくして「きんいん」は速度を落とし始め、博多ふ頭に到着した。着岸の鈍い衝撃が足裏に響き、それを契機に高ぶった気持ちが心地よくクールダウンしていった。肌には冷たい潮風の感覚が、いつまでも残っていた。